「加藤登紀子」 - Latvia Japan

ラトビアとのつながり

加藤登紀子さんは、1968年に彼女が24歳の時に最初に行った海外でのコンサートツアーでラトビアを訪問。デビュー50周年の際も記念コンサートをラトビアのリエパヤで行いました。彼女の代表曲である「百万本のバラ」は、ラトビアのライモンズ・パウルスが作曲して「マーラが与えた人生」として1981年に誕生した歌が元になっており、後にグルジアの不遇の画家「プロスマニ」をモデルにしたロシア語の歌詞で「百万本のバラ」となり大ヒット、ソ連改革のシンボルソングとしても知られる名曲である。

「加藤登紀子」プロフィール

加藤登紀子 -Tokiko Kato- 1943年ハルビン生まれ。
1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。

1966年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。

以後、80枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。
国内コンサートのみならず、1988年、90年N.Y.カーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサートを行い1992年、芸術文化活動における功績に対してフランス政府からシュバリエ勲章を授けられた。

近年は、FUJI ROCK FESTIVALに毎年出演し、世代やジャンルの垣根を超え観客を魅了し続けている。

また年末恒例の日本酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」は45年以上続いていて人気のイベントとして定着している。

歌手活動以外では女優として映画『居酒屋兆治』(1983年)に高倉健の女房役として出演した。

宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としてマダム・ジーナ役を演じた。

地球環境問題にも取り組み、1997年WWFジャパン顧問及びWWFパンダ大使就任。
2000~2011年には環境省・UNEP国連環境計画親善大使に就任。アジア各地を訪れ、自らの目で見た自然環境の現状を広く伝え、音楽を通じた交流を重ねた。

私生活では1972年、学生運動で実刑判決を受け獄中にいた藤本敏夫と結婚し長女を出産。
現在 子3人、孫7人。 次女Yaeは歌手。 夫・藤本敏夫(2002年死去)が手掛けた千葉県「鴨川自然王国」を子供達と共に運営し農的くらしを推進している。

加藤登紀子 動画